テスト問題全然解けなかったとかそんなつまらないことはわざわざ書かないことにします。

先の予定が決まっているというのは、僕にとって少しやりずらいようです。無計画じゃ確実にできる保障はないんだけど、なぜかその方が好き。

何かをする時に”純粋にそのためにする”ことは少ない。例えば、食べるという行為は生きるためにするのであって、食べるという行為のためにするのではない。
その時には必ず目的の入れ替えが行われる。そうすると、最初の目的の純粋さは失われる。
僕は何のためにギターを弾いたりするのだろう?”純粋に”音楽を楽しむためにやっているのだろうか?
あの時の自分にはそこが欠けていたんじゃないかと思う。感覚というのはナニモノにも侵されない純粋なものだ。濁っていてはそこから何も生まれない。
よく「感覚を研ぎ澄ます」というが、全くその通りだと思う。感覚は研ぎ澄ましてこそ効果を発揮する。

僕は昔、座禅を少し習った(本当は体験しただけだけど)ことがあるのですが、あの”どこかに集中している”感覚はなかなかいいものだと思いました。実態はつかめていないんだけど確かに何かある、という感じ…まぁ坊さんの話なんて聞いちゃいませんでしたけど(笑)

僕は思うのですが、人間には別の何かが元々内在しているんじゃないでしょうか。例えば、今と違った世界の認識の仕方とか。それは気付かないけれど、先天的に備わっている。
そして、その何かは座禅のような”集中”によって表面化されるというか浮かび上がってくるのではないでしょうか。
僕はその何かは自身にとって善いものであると予想します。特に根拠はありません。なんとなくそう思います。
長い(恐らく)人生の中で一度でいいから、それを探求してみたいです。