Dannying2005-10-12

疲れてます…でも忘れないうちにこの前のことを書こう。

先日借りた芸術について書いてあると思われる本というのがこれです。
パラパラめくって良さそうだったからこれでいいやーと思って借りたのですが、この本の著者はちょう有名な哲学者だそうですね。
父に「読んで理解できるの?」と言われてしまいました…確かにちょいと難しい。頭のよろしい人の文章ですね。
だけど、論文というだけあって筋道がハッキリしているので(当たり前ですけど)、読めないことはないです。
それで、この本は僕の疑問に答えてくれたのかというと、答えてくれたのです。しかし、期待通りとはいきませんでした。
「全ての芸術論は虚しく、芸術そのものに素直に感動し、それを十分に味わえばよい」というのが、著者の出した結論です(読み間違ってなければそのはず)。
結論に至るまでを読んで「なるほどな」と思ってしまったわけなんですけど…この本からわかることは「少なくとも自らも創作をしていなくてはならない」ということです。

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やはり芸術というのも”一種の鍛錬によって理解が可能になるもの”であるようです。
これまで絵を描いたことのない人が写実的な絵を描けるはずがないのです。

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少し考えてみて、僕が芸術の理解の仕方について知りたくなったワケがわかりました。
あちこちで見るCDのレビューに僕は耐えられなかった。そのほとんどは主観的で、個人的な思い入れなんかが入ってしまっているのです。
それじゃあ全く相手に伝わらない。それでも尚、レビューをし続けるのはきっと「この素晴らしい音楽をみんなに聴いてもらいたい!」という気持ちからくるのでしょう。
その気持ちはよくわかります。実際、メディアに過剰に取り上げられるようなミュージシャンがそれ相応でないのは明白です。
しかし、その明白さや自分が思う素晴らしい音楽を伝えようとする時、なかなか言葉にならないのです。
だからと言って強制的に聴かせても相手は理解できない。これではどうしようもない。それならその方法を知れば良い方向に動くんじゃないだろうか。
という訳です。

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でもこのままいくと”音楽を理解できる人のための音楽”と”音楽を理解できない人のための音楽”に二分されてしまうんじゃないのかと思います。
「音楽に理解できるできないの問題はないんじゃないか、そもそも、世界中の誰もが共通に理解できるのが音楽なんじゃないのか」
この問いに対しては、確かにそういう面もあるけれど、そこを越えたところにより高次の段階の音楽が存在するのだと思います。
それはちょうど、ボールを真っ直ぐに投げられる人とそれに加えてカーブをかけられる人がいるのと同じだからです。

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写真はブッシュ大統領と因縁が深いプレッツェルの細長いバージョンです。とにかく量が半端じゃありません。2ポンド(約900グラム)あります。
例のプレッツェルと同じ味を予想して買ったら、こっちの方がしょっぱい…当然1人では食べきれないので、父と2人でどうにか食べます。
そう、パッケージに面白いことが書いてありましたよ。
「大切な試合をテレビを見てる時であろうと、街へ出かける時であろうと、もしくは森でハイキングしている時であろうと、このソルティースティックスは最高のお菓子だぜ!」
いや、ハイキングしてる時にこれ抱えてる姿ってものすごく笑えると思うんですけど?って言うかなぜハイキング?みたいな(笑)

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さて、メールの返信しなきゃ。

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追記:syrup16g vs VOLA & THE ORIENTAL MACHINEツアーの「リアル(with VOLA & THE ORIENTAL MACHINE)」っての気になる!もちろん新曲の方も気になりますけど…ツアーでは全曲新曲らしいですね。なんてヤツだ、五十嵐さん。