時間についての考察。
今朝、コーヒーをうまく淹れられなかった。いつもと変わらない日のように感じていた私は、ショックを受けた。
その時、コーヒーを淹れる事を“単なる朝の一行事”として扱っていたと気づいた。
歯磨きや服を着替える等、単なる朝の一行事として扱って良い事もあれば、一日の始まりを左右するような“ある程度の比重を置いてやるべき事”もある。
つまり、ある範囲の中で重きを置くべき部分を見極め、適度な時間と意識を注ぐ。これができなければ、あらゆる事柄をナイガシロにするばかりか、自分がやりたい事もできなくなってしまう。

この考えが活きてくるのは、以下のアイディアを反映させた時だ。

例えば、ある人物がカフェでお茶をしながら本を読んでいる。コーヒーはスマトラの何とか農園のストレート、本はツァラトゥストラかく語りき、BGMはコルトレーンカルテットが演奏するNaimaだとしよう。
この時、この人物はどういう欲求を満たしているのだろうか?
本だろうか、コーヒーだろうか、BGMだろうか、それともそういう自分を見ている周りの目を気にしているだろうか。

人間はたくさんの欲求を満たす方法を追求してきた。車に乗って早く移動したいし、運転しながら好きな音楽も聞きたい。おまけに道も案内してくれて、お菓子なんか用意されてたら言うことがないと言った具合だ。
実際のところ、人間は身体能力的にたくさんの欲求を同時に満たせない。やりたい事を実現できる可能性は増えたが、人間の側はそんなに進化していない。

ここで話を最初に戻すと、おいしいコーヒーを淹れたいと言う欲求と焼きあがったパンにジャムを塗りたいという欲求は同時に満たせない訳だ。優先順位をつけてどちらかを後回しにするか、どちらもナイガシロにするしかない。
こうやって文字で読む分には簡単に思うが、実際やる時は難しい。毎日の習慣として経験を積み上げるか、特別の注意を払う必要がある。
人間は習慣の集積であるから、実現させたいと思った事は習慣化させる努力(環境を整えたり誰かにアイディアを話す等)をするべきだ。また、朝食後の歯磨き等の小さな事を練習代わりに“習慣化させる方法”を研究するのも良い。

まとめ。ある範囲の中で比重をおいて時間を使いたい事を考え、実践によって繰り返し、習慣化させる。当たり前のようで、毎日続けないとできない事。