ここ数日、ウチに居ても外にいてもストレスを感じることが多いです。
一番の原因は、思慮に欠けた人をあまりにもたくさん目にしたからです。
どうしてあんなことを言ったり、やったりするのか僕にはわからない。
どうして僕の目にはそのように見えてしまうんだろう。いや、その考えはおかしいな。ちょっと傲慢のように聞こえるかも知れませんが、僕の思ったことは間違ってないと思います。
街中でちょっと注意して見れば、きっと誰でも気づくでしょう。そういう風景を見慣れてしまって、感覚がマヒしているんです。あんなにヒトの良さそうな人がとか、あんなにかっこいい(もしくはかわいい)人がとか、見た目によらずなところが、僕は悲しい。
ここからは話がズレますが、外見が優れている人は内面もすぐれている、と僕は考えています。実際はあまり現実的ではない考え方ですけどね。今では、かわいいもしくはかっこよければ、それでよしという風潮がありますし。
そういう人はちょっと頭の悪い発言をしても、なんとなく頭の良い発言のような気がしてしまうものです。でもそれは僕の考えから言えば、「足りていない」わけです。
元々努力のないところに更に努力が足りないことがわかれば、失望するのは当たり前だと思います…そう、これがいいたかったんだ。

知っているのと知らないのではかなり差があります。僕はそのことで多少なりとも損をしているはずです。
例えば、電車で向かい側に座ったあの子は、完璧なくらい僕と趣味が同じかも知れない。もちろんそんな見ず知らずの人にいきなり「Radioheadの曲では何が一番好き?」とは聞けません。
ヒトメボレをした人にいきなり告白しても、ダメなのはわかりきったことです。少し知り合ったところで決定的に合わない部分が見つかって悲しくなったりする可能性もあります。

見た目だけで判断するのはとても危険です。またその人の内面でなく、内面を覆っている外側(その人の嘘ってことです)だけでその人を判断するのも危険です。そうやって騙す人を僕は現に見てきました(悪は信頼関係をうまく利用しようとします)。
そこで、必要なのは人間不信になることではなく、純粋な目で人を見ることです。見た目を判断の要素に入れると失敗するぞと言うことです。
最近、僕の周りでもそういう人が目につくようになってきたので、メモしておきました。