知った風な顔をして多少の議論ができる程度で満足してしまうのは、恥ずかしい事だ。

僕は情報過多の時代(社会)に生まれた“中抜けの人間”であることを忘れていた。
僕達には情熱が欠けている。情報という刺激に慣れてしまったからだ。刺激が適度であれば情熱はむしろ高まる一方だが、防波堤を築かない限り情報の波を食い止める事は困難だ。

個性の型がいくつも生まれ、各人はそこから好みのモノを選ぶ、なんていう恐ろしい世の中になっている。個性の型と言うモノは存在しないし、どこから見てもただの情報でしかないと僕は思っているんだけれど。
この点に気づくのは、特に重要な事だと言える。なぜならこれは一人の人間の中心に関わる事だからだ…この状況を危機と感じられる人はどれほど居よう?

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ああ、僕は本当にアタマデッカチだな!嫌気がして仕様がない!

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聴いていると過呼吸になってしまう音楽が僕は好きだ。

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いろいろ清算しなければ新たな気持ちで始められないし、じっさい前にも進まない。