全ての言葉しっぽ巻いて
逃げ出す程の
リアル

五十嵐さんの歌詞は細切れにするとグッとくるなぁ。


追記:カミナリが鳴っています。気持ちが高ぶります。明日は早くから出ないといけないのに、こんなで寝れるのでしょうか。

また五十嵐さんの言葉を並べてみようと思います。


今はまだ飛べるよ。I'm 劣勢。溶け行く日々と空っぽの心。心なんて一生不安さ。昨日より今日が素晴らしい日なんて。罪や希望と交換に。真空に風が突き刺さってくように。将来はステキな家とあと犬がいて。その場にいれる時だけ。無理して生きてることもない。俺は夢を全てかなえてしまった。寝てらんないからまどろめばマボロシさんからお手紙さ。怖い人だらけ。
逃げたい切れたい時もある。別れを告げたい時もくる。メリモ!。傍にいるだけ、そこにいるだけ。誰も拾ってはくれないよ。サイレンが聞こえてもまだ。君に存在価値はあるのか?俺の魂は根ぐされ起こしてしまった。汚れて傷ついて生まれ変わっていくのさ。おいしいお蕎麦屋さん見つけたから今度行こう。

追記2:嘘でも喜んでくれるなら、いくらでも言ってあげるよ。
もし僕が何か失敗したら、そのことを笑う人が世界には5人くらいいるだろうと思います。
そういうまにあっくな人タチは例えば僕が今日どこに行ったのか気になって、まだ更新してないのか!まだなのか!と2時間くらい待った挙句、「今日は疲れた。」という文を読むことになるんだろうと思います。
そして、これを読んで笑ったあなたもまたその仲間なのです。

一生は短いものです。特にモノ心がついた(つまりこれを読んでいるようなあなたのような)人にとっては。

追記3:とってもとってもとってもスタジオに入りたい。ちょっと曲になりそうなのが1つだけ思い浮かんだのです。
でもこれを形にするには人を選ばないと。そして残念なことにその人は今のところいない、と。
やはり今でも思うのですが、どうしてあんなにクソな音楽を聴いて泣いたり元気づけられたりしているんでしょうか。
それともアレですか、よく目にするあの「間違った評価」はメディアの操作したものであって、あの数字に比例するくらいの人々は全然そんなことを思っていない、ということなんでしょうか?

あのしたり顔をしたクソバンドとかエセ歌手とかを目にする度に叫びたくなります。
ああいう人たちは歌を歌う必要なんか全然ないので、ドラマ(5分間番組の)とかに出てればいいんだと思います。

追記4:いくら好きだと言っても、そこに出口があれば、それはただの片思いになってしまう。
その思いは入り口を抜け、そして出口を抜ける。”その中”に留まることなく。
ある小説家は「物事には入り口があって出口がある。そうでなければならない。」と言ったけど、世の中には出口がない方がいいものもあるんですね。

追記5:思いだとかそんなものは僕にとってただの重いものだ。