僕はこの先も音楽を続けたい。そのためにはもっと理解を深めなくてはいけない。
今の僕の演奏はハッキリ行って、考えないで動くロボットみたいなもんだ。つまりただ弾いてるだけ。そこには何の理解もない。
ギターを習っていた時に先生から「ギターは考えて弾くもんなんだよ。どうやったら音の響きが美しくなるかとかこの音がきたら次はこれだとかね。考えて弾かないと何をやってるのかわからなくなる」と言われて、譜面通りにしか弾けない僕は「ナルホド」と思ったわけです。
重要なのは、響きであり、それぞれが共鳴し合うことであり、そして、考えることなのです。
と言っても「言うは易く行なうは難し」ですね。頭だけじゃだめだ。頭で考えて、それに体が応えなければ、何も生み出す事はできませんからね。

僕は根拠のない自信があるけど、このままではいけない。その実体をどうにかつかんで、こねてから、形を作る。そうやって、根拠のない自信を根拠があるものにしなければならない。

いろいろな場面で締め切りが来ています。ここいらで腹を決めて(みんなからしたら遅すぎるだろうけど)勉強をしなくては。
まぁ不可能だってことはないんですけどね。白黒つけなきゃ。中途半端が一番危険。
はぁ、大学に行って同志に出会うことはできるのだろうか…んー待つのはもう終わりにしなくちゃ僕の人生、後悔することになるかも?
次に進めれば、もう待つなんてことはしません。僕の場合、待っていてもダメだと言う事が高校でわかったから。

できれば、時間を気にしない、時計のない生活をしたい。そして、(今の時間で)どれくらい過ごせばなれるのかわからないけど、永遠の中で生きたい。
僕らは永遠の中に生きる事は可能だと思います。自分の中にある時間の感覚を永遠に引き伸ばす事ができれば、それはつまり、永遠の中で生きるのと同じになる。
でもこんなことを言っている内は無理だな。できないから口に出したり書き残したりするんですよね。満たされている欲望をわざわざ「〜したいなぁ」とか「〜になりたいなぁ」とか口に出さないのが普通だし。

ここ数日、秋らしい日が続きます。学校の帰りに浴びる太陽の暑さと空気の冷たさのギャップが僕にそのことを気付かせました。
そう、その時にたまたまとんぼがいっぱい飛んでいたんですよ。それを見て僕はふと「とんぼには生きる意味ってあるのかなぁ。別にとんぼがこの世界からいなくなっても何ら変わりはないんじゃないかなぁ」と思ったのです。
そう考えると、実は僕らも生きる意味なんてないのかも知れませんね。生きる事に意味を求めるのは、人間が人間として生まれたというプライドを持っているから、もしくは、ただのエゴであるような気がします。
実際、生物学的に見たら、僕らは他の動物と同じように、シソンを残しているだけですから。いや、まぁ確かにそれ以外にもたくさん、いろんなことを人間はしてますけどね。自然の中の人間という種を考えるとそういうことになると思います。
うん。運動や読書だけでなく、”哲学の秋”もいいですね。