気のオモムクままにメモを取ります。「そんなメモがあってもいいじゃない。みつを」(マテ)
ギターが鳴るようになってきた気がします。今日、弾いてて音が変わったのに気付きました。どんな音だと鳴ってると言えるのかわからないのに、どうしてか直感的に「あ、これが鳴ってる状態なんだ」って思いました。
まぁこのギターが鳴ってようが鳴ってなかろうが、音がよければ別にいいんですけどね。
でもちょっと嬉しかったです。そういうことに気付けたことも、ギターが鳴ってる(かもしれない)ことも。
弦を替えたことがよかったんだろうか。張り替えてから結構経つけど、ダダリオと比べると音がいいように思います。
湿気対策とか全くしてないし、むしろずっとスタンドに置いた状態です。箱モノは湿度の管理が大切だって聞いたから今度何かしら対策を施そうかな。
細かいところまでメンテナンスしたいなぁ。今の状態で弾けないことはないけど、ちょっと弾きづらいと思う時があるので。あときっと音もよくなるだろうし。
ただ、それができるのは来年の春ぐらいになっちゃうんだよなぁ…うん、でも我慢します。

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こんな言い方はあまりに思慮が足りないのかも知れないけど、受験勉強をする友達を見て思ったことをそのまま言うと、彼らは必死になって「勉強」ではなく「暗記」をしているように見えます。
そして驚いたことに、それをもって「理解した」と言うのです。本当にこれは驚きです。受験勉強というものがどれだけ「勉強」とかけ離れたものであるかわかります。
参考書や予備校の授業はみんな学問のための勉強ではなく、受験それだけのための勉強のように思えます。
それを普通は勉強とする(受験勉強も勉強だ)という人がいるかも知れません。しかし、現実は違います。ほとんどの受験生は学問のための勉強ではなく、受験それだけのための勉強をしています。
そこには学ぶ楽しさなんてものはありません。背後には、模試の結果と成績、おかしくなった精神状態と名前だけで選んだ志望校、そんなものが渦巻いています。
全くバカらしい。「このツライ時期を乗り越えることがその後の人生に役立つ」なんて言うのがおかしい。その前の段階を直視したことがあるのかと聞きたくなるほどです。
人生一度は不条理さは味わうべきだと言うのなら、それはこの時期において全くその通りでピッタリ当てはまる言葉だと思いますけどね。

どうして僕はこんなことをしなくちゃならないんだ?