考えたことのメモです。箇条書きで。
愛というのはそのほとんどが動物的なものだ(この時、愛の定義をしなければならないが、今は省くことにする)。
僕の考えでは、愛というのは生殖を確実なものにするための1つである。
人間には感情というものがある。これは生まれた時から備わっている動物的なものだ。
それでは人間的なものは何か。それは、人間自らが新たに生み出したものである。よって動物的なものである愛に取って代わる人間的なものはない。
人間の優れている点は、他の生物にはない人間的な部分にある。他の生物がそうするように人間もまた人間らしく生きる必要がある。魚が犬のように振舞えば、それは自ら死を選ぶことと同じだ、というのは言うまでもない。僕は人間はその部分を忘れていることがあるように思う。
それならば感情を捨て去ればよいという考えは安直な考えだ。なぜなら、人間的なものは動物的なものがあって初めて成り立つからだ。
何も考えられなくなるというのはある意味で幸せなことなのかも知れない。しかし、それは快楽に溺れるのと同じことだ。
やはり「考える」という行為は最も人間らしい人間的なものであるようだ。

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追記:ashiato0さんの日記(リンクの仕方がわかりませんでした、ごめんなさい)で僕の疑問に対して意見をいただけたようです。
ashiato0さんに感謝します。
こういう風に、実際にそういう場に接している方から意見をいただけるというのは、あれこれ推測することしかできない僕にとって、大変ありがたいことです。

社会人になるとやはりとても忙しいようですね。
「人生を見つめることさえできずに死を迎えることになりそうだ」と書きましたが、考えてみれば、それはまだわからないことです。だからあくまでそういう可能性がある、としか言えないはずなんですよね。
今の僕にとって、人生は曖昧模糊としたものです。このメモは1から考え直すことになった時の僕にとって確実に有効なものになると思います。
ちなみにターミナルは僕も見て、感動しました。トム・ハンクスはああいうとぼけた感じの役がうまいと思います。(クラコウジアって架空の国だったんだ…)

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今日聴いた曲を無意味に羅列します。
RADIOHEAD/Pyramid Song
RADIOHEAD/Morning Bell-Amnesiac
RADIOHEAD/Motion Picture Soundtrack
RADIOHEAD/KARMA POLICE
RADIOHEAD/EXIT MUSIC(For A Film)
RADIOHEAD/LUCKY
RADIOHEAD/Morning Bell
The Beatles/Strawberry Fields Forever
Sigur Ros/Svefn-g-englar(ツヅリが違う可能性アリ)
The Beatles/Cry Baby Cry
The Beatles/Let It Be
The Beatles/Across The Universe

Across The Universeは僕の数少ない(直接曲に関係ないところでの)思い入れのある曲です。
個人的ないろいろがなくても、素晴らしい曲だと思います。

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追記2:「舞姫」を読んでいて、エリスが「恥なき人とならん」と言ったのを「身売りをするだなんて…もっともだ」と思ったのですが、その時ふとどうしてもっともなのかわかっていないことに気付きました。
豊太郎と初めて会った場所が教会の前であったことから、エリスは何かの宗教(恐らくキリスト教)を信仰しているようです。
僕が知る限りでは、多くの宗教では「身売り」のような行為は禁じられています。ここからエリスは「恥じなき人とならん」と言ったのだと思われます。
では、なぜ「身売り」のような行為は禁じられるのか?
僕はその理由を愛から発生するものであると推測します。
まず動物的な「俺の好きなあいつを他のヤツに取られてたまるか」という極めてパーソナルな問題が発生します。
そこから人間的な考えが加わって(これにはいくつかあると思われます)拡大していき、誰もが同じように思うことからそれが一般化し、今日よく言われているような考え方もしくは教えになったのではないでしょうか。
またこうとも言えます、元々、生殖のための行為であり、それに伴う快楽はあくまで生殖を確実なものにするための1つであるという認識があったのではないでしょうか。
それゆえ、快楽の部分のみが強調された「身売り」という行為は忌むべきもの、動物的で劣るものとされた。
人間が動物である以上、生殖はインプットされたことであり、本来はそこにどんな感情も入り得ないはずが、人間的である「考える」という能力がゆえに、「身売り」は忌むべきものとされた。

これじゃ全然まとまってないな…後でまた考えます。

日本では援助交際だとかがよく問題になって、その度になんとか省だとか、青少年なんとかかんとかの人が「健全な〜」とか言うけれど、そういう本人が実は自分の言っていることを詳しく説明できないんじゃないかなと思いました。
なぜなら「健全な〜」という代わりに、それが健全であることの説明をするべきだからです。きっと子供たちはその短い言葉の中にあるものを理解できていないと思います。
そしてそれが真実だとすれば、どこだかの人たちがやっていることは単なる偽善(そしてその社会もまた恐らくそれを説明できない)に過ぎないということになりますね。