えーと、昨日の記憶がありません。すごく眠かったようなそんな気持ちだけ覚えてます。
仏教思想でこういうのがあった気がしたんだけど…思い出せないな。
倫理の授業でいろいろな思想家とか宗教家のことを勉強してきて気づいたのは、彼らの考えたようなことはこの僕でさえ考え出すことができた、ということです。
そりゃあ全部が全部じゃないですけどね。時代が違えば考えるべきことも違うだろうし。
まぁそれはいいとして、何が言いたいかというと、いろいろなことに関しての真実というものは、誰にでも気づく(知る)ことができるのだと思います。
多くの人が彼らのようになれなかったのは、「考えなかった」もしくは「考えられる環境になかった」からなのです。
真実を見つめるその眼力に優劣があったとしても、その内容は誰でも理解できるわけですから。

これまでの歴史から考えると、現代の所謂テツガクシャという人々は古代において神のような存在になり得るのではないでしょうか。
あ、でもブッダは人間か。うん?待て、僕は宗教という言葉に関して誤解しているところがあるかも知れないぞ。
うーんと…勉強し直してきます。

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追記:はてなダイアリーのキーワード「宗教」より↓
宗教学者、岸本英夫による定義「宗教とは、人間生活の究極的意味を明らかにし、人間問題の究極的解決に関わると人々によって信じられている営みを中心とした文化現象であり、その営みとの関連において神観念や神聖感を伴う場合が多い」
なるほど。宗教は必ずしも神を信仰するものではないのですね。そこを勘違いしていました(仏教も宗教ですから)。