こんなことはわざわざ人様に見えるようなところに書き残しておくことではなく、また、書き残したところで何も解決しないのはわかっている。
でも今の僕にはここ以外にこの嫌な気分をぶつける場所がない。誰もこの文章を読んで心が休まったり、笑ったり、教訓になったりすることはない。
これはただのくだらない愚痴です。

僕が起きると叫び声が聞こえた。誰だかは起きたばっかりでもわかる。弟だ。
ここ最近、弟はどうやらバイクが欲しいらしくて、そのことで親と口論している。これもまた毎回のことでハッキリしたことであるんだけど、口論のタネはお金だ。
弟はバイクを分割払いで買って、バイトをして返そうとしているらしい。それで、その契約書だかなんだかに対してサインがもらいえないらしい。でも今はバイトもしてないし、一円もお金はない。
父も母も今現在バイトをしているか、買えるだけのお金がないとダメだと言う。僕はもっともだと思った。それで全然問題はない。
でも弟は理解できないらしい。というか自分で言っていた。本当に馬鹿なんだなと思った。
結局弟は自分のそばにあった何かを壁に投げつけて、父のムナグラをつかんだ。僕はその様子を終始テーブルに座ってヨーグルトを食べながら見ていた。
弟はキレて「友達のバイクに乗って死ねばいいんだろ」と叫んでいた。僕には言ってることの意味がわからなかった。父は冷静に何かを言っていた。僕は部屋に帰った。
また何かを投げ飛ばす音がした。僕は昼飯を買いに外に出た。
歩いている間、ずっと弟を納得させるにはどうしたらいいのか考えていた。たぶん分割払いの存在を否定できればいいんだと思ったけど、それ以上は思い浮かばなかった。どうしたって分割払いを否定することなんてできなかった。
僕が帰ると、父と弟は出かけるようだった。「また何の解決もしないままか」と僕は思った。
そして、2人は車でどこかへ行った。僕は買ってきた弁当を食べながら泣いた。
僕が何をしたというのか。どうして何も悪い事をしていないのに、こんなにもストレスを感じないといけないのか。
僕の前には、生物の課題研究レポートや中間テストや受験があるけれど、そのどれも手がつかない。このままではそんなことは到底できない。
僕はその時の気持ちを素直に言えば、弟が死ねばいいなと思った。むしろ僕が殺そうかと思った。なぜなら、僕の考えの及ぶ範囲から言って、彼には何ら良い点もなく、M.スコットペックさんが言うところの悪だ。良いと思えるかも知れない点があるとすれば、僕の親の子供“である”ということぐらいだ。
この家の人間は、事態を解決しないまま次へ進もうとする。ほとんどの場合、それをお金の力によって進める。
どうしてこんなことができるのか。どうしてそういうことをした自分たちのことを恥ずかしく思ったり、良心がとがめたりしないのか。僕には全くわからない。悪の力に屈してしまっているのは明らかだ。
こんな家にいることを僕は恥に思う。
神にすがりたいと思ったけど、あいにく神は僕自身の手によって消し去られてしまっていた。
これからどうするか、また、どうなるのか僕にはわからない。

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追記:やはり落ち着くことは何かを判断をするのに必要不可欠なようですね。
上の愚痴を読んで、気分を害した方がいたら謝ります。今、こんなことを書いて世に晒した僕は僕自身に対しても謝らなくてはいけません。
だけど、この文章は残しておきます。いつか何かの役に立つだろうから。
僕はあれからずっと梅原猛さんの「哲学する心」を読んでいました。考えるべきことがまたいろいろ見つかりました。
ところで僕は今部屋の鍵を閉めているのですが、これはなぜかと言えば、弟が僕を殺しに来る可能性があると思ったからです。
でも殺そうと思ったのは僕の方であって、きっと弟はそんなことを考えていないはずです。
この不思議な行動は、僕の勝手な意識によってもたらされたものであると思われます。
つまり、原因は向こうにあるにせよ、僕が一方的に殺そうと考える。そうすると相手方は必然的に敵でなくてはならない。僕は相手を敵に置き換えて、それが攻撃してくると考える。
あぁ、恐ろしき野獣、人間。
僕は「怒り」に対抗する術を身につけなくてはならない。確かに「怒り」は人間の感情であろうが、それがもたらす結果は多くの場合、破壊であって、そうである限り僕らに何の善いものも運んでこない。
僕も平和の哲学が必要だと考えます、梅原さん。