メモ。ACIDMANインタビュー→http://ent2.excite.co.jp/music/interview/2005/acidman2/my.html
最近、こういうインタビューに彼らの考え方が随分現れてきた思います。僕は大木さんよりもサトマさんに賛成かな…ただ、あの雰囲気を作り出していながらああいう考えを大木さんがしていたというのは、やっぱり純粋に音楽をやることではなくて、自分自身を含めて聴いて欲しいということなのかなと思いました。
僕がつまらないと思うバンドってそういうのが甚だしいからだろうし、それ故、純粋性を欠いた音楽に思えてしまうのです。
純粋な音楽ほど美しいものはない。そして、そこには“個”は入りこまないのです。
今の音楽はそれ自体として分化してしまったものであると思います。もちろん今でも、そうでない純粋な音楽もあります。
今の僕にどちらが良い悪いとは言えませんが、本来的な音楽というものは、「鳥のカタログ」のようなものであると思います(いつも同じ例ですいません)。
だからなんだと言いますと、つまり、自分もそれに習おうというわけです。
僕の場合、忘れやすいので、自分の考えをまとめておかなくてはいけません。それでやはり、音楽についても同様にまとめるつもりです。
でも梅原猛さんが言うように、それは意味のない行為であるのかも知れませんが…僕は彼に対抗してみるつもりでまとめます。
と言っても大事なことなんてたいしてないように思えますけどね…。

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追記:小説の棚を見て、ふと買ってから1度も読んでいなかったトルストイの「クロイツェル・ソナタ」が目に入り、一気に読んでしまいました。
非常に興味深い話でした。初めの聖書の引用はよく理解できなかったのですが、最後まで読んでその意味がわかった気がします。
男女の問題は、自分なりに考えていて、「ねじまき鳥クロニクル」に出てくるクミコの行動のような状況を、妻殺しを語る男と同様に恐れていました。と言っても僕は実際その状況に直面したわけではないんですが…でも想像しただけで恐ろしい。

人間は理性的であり、同時に、動物的でもあるということは認めるべきことなんじゃないでしょうか。
人間が人間を離れる、つまり、人間以外の生き物(魂だけでもいいですが)になることは不可能なわけですから、それは受け入れるべき事実です。
いや、トルストイは認めているのかな。その上で、コントロールすることが重要だと言っているのか?
あまりわかっていないようなので(僕が)、また読み返します。読み進めながらそれを全く理解するには僕はまだ力不足のようです。

この短い作品は複数のことについて述べています。
常識と言われていることへの疑問、音楽が持つ力、嫉妬と怒りの感情の強さ、人間の自他に対する嘘、信じることの難しさ…後はもう忘れてしまいました(汗)。
とにかく、この作品から学ぶべきことはまだあるようです。

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これは「クロイツェル・ソナタ」を読んだから考えたことでもあるのですが、誰かが描いている幸せというものは、他の誰かによって作り出されたものであり、その実、幸せではないということもあるかも知れない。
よく言う「常識だから」とか「普通はこうする」とか言うことの危険性は、それを盲目的に信じてしまうという点にあります。
確かに、いくつもの選択肢を経てた後、最善であるとして決定されていることもあります。しかし、一方で情報操作や差別意識などによって決定されていることもあるのです。
そして、わかっていないことをわかったように振舞っていることは往々にしてあるのです。

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最近、小説を“読める”ようになってきた気がします。1つの作品を読むのに、他のたくさんの作品を通して見えたことが役立つことがあるからです。
そのように“読む”のに役立つものは何も小説だけじゃなく、様々な文章、それに自分が体験したことも含まれます。
そして、“読める”ようになることを通して、様々なことへの理解が深まると思っています。人間は何かを“理論付ける”場合、多く言葉を用いますからね。
しかし“絶対値”が明らかに少ない僕はまだまだそれらを集める必要があります。あなたのためでなく(もしかしたらあなたのためになるのかも知れませんが)、僕自身のために。

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一体、僕は生きる意味を見つけることができるだろうか?それとも、誰かが先に見つけるだろうか?
これは人間が人間として生まれてきたがための問題であり、目標ですね。
ここでも僕は、考えられない方が幸せなのかも知れないと思ってしまいます…死の問題も僕には当分解決できないだろうし、ひょっとすると解決できないまま死ぬかも知れない。
僕は社会というものを憎みつつあります…こんなに大事な問題を考える時間を与えてくれないのですから!そして、誰もが大事だとわかっていながら、「自分にはわからない」と決めつけて“先生”が現れるのを待ち望んで死んでいくのです!
しかし、人間は平等でないのかもしれないな。ちなみにそれを個性とも言うようだけれど。
誰もがやろうと思えば到達し得るある点以上の点へは、やはりその分野に長けた人でないと到達できないのかもしれない。
うーん、そういえば、この問題について前に意味がないとか言ったような気がするな(笑)
もっと的を絞って考えるには、今の僕には時間がなさすぎます…これもまた社会に屈しなければならないというところから来るのだけれど。
あぁ、どうにかしなければ。

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追記2:そう、大事なことを忘れていました。
友達に一緒に帰ろうと言われた(それが自分の家と真逆の方向だった)ので、一緒に駅まで歩いて行って、いつもは横切る川をそれに沿って帰ったんです。
そうしたら、ちょうど夕日が見えて、しかもそれがあのマンション群の壁の向こうに少し見えるぐらいだったので、まるで壁の向こうに何か神聖なものが隠されているようでした。
僕はその景色にひどく感動しました。と同時にある音が頭の中に浮かびました。それは「この光景を音で表したらこうなる」といった感じの音です。
全く素晴らしいことじゃありませんか!僕はそのおかげで倍も感動しました。涙がホホをつたうとまではいかなかったけれど。
帰る途中に味わった他の高校生からの視線の痛さも、ある意味この感動を与えてくれたものと考えれば、全く苦ではありません…(笑)