感情を持っていると言うのは素晴らしいことです。物事に深みを与えてくれます。
ただ注意しなくてはいけないのは、それが必ずしも善い方に向かうものだとか真実であると思ってしまうことです。
「時には制し、時には放つ」これが重要です。ここでいう“時に”とはもちろん“適している時に”の意です。
喜んだり悲しんだりすることは、表面的に物事をとらえている場合が多いです。それはある意味「感情の誤認」であるわけですが、普段から判断することを怠っているためにその自覚がないという事態に陥ってしまうのです。
僕の身の周りに限って言えば、これによって損をしている人は実に多くいます。たった1つの誤認が、本来敵にまわすべきでない人を敵にまわしてしまったり、真実を知らないのに大喜びさせたりします(僕には、特に後者は滑稽に見えます)。

この話に結論はありません。ただ考えたことをばーっと書いただけです。
「Emile」でも読んだら、僕は愛について“わかる”ようになるんだろうか。

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この前、服を見にどこか大手の服屋(Right Onとか)に行った時に、店員さんが「これは今年流行ですよ」的なことを熱心に語っていのを見たんですけど、今は流行の服を買うのが流行っているんですかね?
流行は絶対的な終わりを含んでいます。そうとわかっていながらもそれを選ぶ(普通にその服が好きという可能性もありますが)のは、「流行の服を着るのが大事」なんていう考えを持っているからなんでしょうね。
果たして彼らにその考えの根拠を説明できるのか?
でも流行の話とは別に、服というものは芸術的な部分もありますから、なかなかそれを説明するのは難しいことかも知れませんね。
そもそも服の流行って誰が、どういう理由で決めるんでしょうか?僕はそこらへんは詳しくないのでわからないのですが…。

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それで、結局レポートはどうなったのかと言うと、まだ終わってません。手直し、手直しで、今、最後の図を作っています。研究発表は来週の水曜日だから確実に間に合うはずなんですが…明日は…カラオケに…行き…ます…………なんとなく言いづらい雰囲気をかもし出してみました!(特に意味はありません)
さてとーまたメールの返信をおこたってしまったから、ごめんなさいって言わなきゃ。