ベッドに寝転んで「こころ」を読みながら、salyuの歌声を聴いて、「歌って素晴らしいなぁ」と、ただ単純にそう思いました。歌に対する理解よりは、小説の内容に対するそれの方が大きかったからなのでしょうか。それとも他に何か大きな理由が?

あと父から借りたカヒミのミニアルバムに「ちびまる子ちゃん」で使われた曲が入ってたんですけど、結構よかったです。リアルタイムで見ていながら、今考えてみると「どうしてちびまる子ちゃん?」って思ってしまいます。
そういえば、カヒミのアルバムでNANAって言うのがあったなぁ。何が言いたいかと言うと、矢沢あいさんはカヒミ好きなのかなぁってことです。マンガの方が先に出てたら僕は見当違いになりますけど…でも好きかもしれませんよね。まぁ何でもいいや。
マンガの方がもてはやされていた時は、僕の周りに限って言えば、読まなきゃいけないみたいな流れがありましたね。あれは何だったんだろう。みんな何か学んだのかな?
僕はと言えば、興味が起こらなくて読まず仕舞いでした(ああいうものに成り下げられてしまったときはいつもこうだけど)。

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これは僕の方法論(そう呼ぶに値すればそう呼ぶべきもの)です。
何か新しいものがやってきた時に、僕はまず受け入れません(この時点では良しも悪しもない方がいいと思います)。次に、いきなり飛び込んできたこれを目の前に据えて、じっくり考えます。そしてやっとのことでそれを受け入れる(もしくは退ける)ことができるのです。
形の上では、始めに退けていると取られるかも知れませんが、そうじゃない。新しいものはあくまでそのままそこでストップさせられるだけです。
これによって多少は自己矛盾を避けることができると思っています。と言うのは、何でもかんでも取り入れるとそれらの内に必ず矛盾が生じるからです。
もっとうまいやり方はあると思います。でも僕が今できるのはこの程度のことなのです。

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前に「自分の中にもう1人の自分がいる」と言ったことがあったと思います。その時は理解できない一種奇妙なものにすぎなかった彼ですが、最近の現国の授業で、正体を掴むことができました。
簡単に言えば、理性と感情というものが人間にはあり、言語と共に生きているから、彼を意識せざるを得ないというわけです。
彼がいるから僕は自分自身を戒めることができるのです。
あの頃(中学生ぐらいだったかな)から彼の存在に気づいていてよかったと思います。それが何であるか理解していなかったにせよ。

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追記:そうか、東京事変Volaはアルバム出すんだっけか。どっちも欲しいけど、今は買わないようにします。