昨日、一昨日と山梨の田舎に行ってました。

バイトがないのに朝早く(と言うか朝に)起きなければならないとなると、理由があるにせよ、ちょっと気分が悪くなりますね。うーん、寝起きが悪いってだけなのだろうか。
何であれ、僕は「朝」というもの(こう書くと抽象的に感じられますね)が嫌いなようです。
いくつもの焦りが流れを生み、それが都市の朝を動かしている…僕は“あれ”の中で泳ぐのが下手なのかも知れません。水が相手だったらなかなか上手にできるのですが…。

朝こそこうだったものの、車窓からの景色は素晴らしかったし、いろいろな鳥の歌が聴こえるし、何より空気が綺麗で心持ちも良くなりました。こういう点で田舎はいいなと思います。

田舎に居て気になったのは、情報量が少ない(限定されている)ことです。僕の母がこのような環境で育ったことを考えると、ああなるのも納得がいきます。
父の言葉を借りれば、「考え方が狭い」人間ができあがる訳です。ナルホドこれは仕方のないことなのかも知れませんね…そういう人間ばかりだとは言いませんが。

そう、僕の非常に少ないデータからわかったこと(これはあくまで中間報告ですが)は、世の中には「歯車の人間」とそうでない人間がいるようです。
この歯車というのは、社会を動かす歯車のことです。つまり、歯車の人間とは、社会を動かすためだけに存在している人間のことを言います。彼らは常に受動的であり、考えることをしません。数が多いのも特徴です。
昔の僕は、人間にはいくらでも可能性があって、歯車の人間であってもそこから抜け出せると考えていました。しかし、悲しいかな現実は違うようです。
運命は運命なのです。歯車は噛み合ったら外れないのです。噛み合わなくなったその時、彼の役目は終わりです…。
僕は彼らのことを攻撃しているのではありません。彼らは親であり、友であり、社会なのです。彼らがいなくなったら、僕は生きていけません。
これはたぶん事実です。これを自覚した時の彼らの気持ちはわかりませんが、あまり幸せじゃあないだろうなぁ。

可能性というものは無数にある。しかし、運命というものは1つしかない。

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追記:あぁ、サリュウの声を独り占めできるなんて…(ただヘッドホンで聴いているだけですけど)

音楽的アイディアが浮かんでは消えてを繰り返しています。というのも、思いついたときに再現するスベがないから。
「いい曲を作ってやる!」って思ってると逆に何も出てこなかったりするんです。
まぁまともな曲は1曲もできてないんですけどね…僕が唯一演奏できるギターでさえ弾く時間がない!