毎日ほとんど眠っているために、日付とか曜日の感覚が無くなってしまいました。それにしても、これ以上のモラトリアムってないよなぁ。
同志の家に遊びに行ったら、「ここ辞めて専門行こうぜ!」と熱心に勧められました。今居るところが良い訳ではないけど、専門も違うと言って断りました。菊池さんと大友さんが講師をやっているとこは非常に魅力的でしたが…。
でもやはりここでやっていること(主に授業、出てないけど)は違うと思っています。

自由を金で買っている。しかもその金は僕のものではない。この家に居ると、生活するということすらも金で買っている気がしてならない…これは何だろう?現代社会は奇妙だ。
「僕は生まれる時を間違えてしまったんじゃなかろうか?」と思うことがあります。でもそれも運命です。僕は全体として“今”を結構楽しんでいます。
むしろ度々「僕が僕で良かった」と思います。この精神で、この体で。自然に驚きと感動を感じるし、歩きながら口笛を吹くし。普段はそんなことは全く意識しませんが、ふと気がついて第三者的視点から見てみると、そう思うのです。
僕は僕のためにもっと良くなれる。それはある程度“確信”している。普通や他や比較についてあまり考えないようになった。これは1つの解放だ。
いま必要なのは、きっかけと自分の中での新たな法(解釈の仕方)だと思う。深い思索の時がくれば、きっと僕はまた一段高い場所へと移ることができる。
フユか…ロシア人は寒くて家に篭もっていたがために、あの超高層建造物的文章を書くようになったらしい。でも僕は氷から生まれる東京タワーもあると思う…雪だ。雪が必要だ。

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追記:寂しさに耐えられないことはわかってる。誰だって寒かったら温めて欲しいと思うだろう。でも僕は“その彼”はオススメしない。世の中には、その裏に成功がない失敗だって存在するんだから。
そういえば、最近、溢れる何かを持った人に出合っていないなぁ。そういう人を最後に見たのはいつだっけ?世の中(僕の生活圏)にはたくさんの人がいるのに、そういう人って意外といないものだなぁ。中身が空っぽなのがわかってしまうくらいのハリボテは本当によく目にするのだけれど…。

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追記2:可哀相な女の子はいっぱいいる。僕は心から彼女たち全員を救ってあげられたらと思う。そして、目を開く必要性を教えてあげたい。
見ようとしなければ、そこには何もなく、見ようとすれば、そこには“何か”がある。同じ様に、気づこうとすれば気づくこともあるのだ。0と1の差は大きい。

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追記3:でも毒蛇は語ってはいけないのかも知れない。僕は確実に誰かを殺す。世界平和のためには口さえ取り上げなければならないのかも知れない。