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mp3プレイヤーを再生しながら、イヤホンジャックを抜いたり指したりして、曲とノイズをミックスさせる、という新しい遊びを発見しました。
ノイズが出た時は、「こんなに簡単に出せるものだったのか!」と一人で興奮していました。
僕にはノイズミュージックは理解できません(いろいろ聴いていけば理解できるようになるんでしょうが)。
曲が流れているからこそ、この遊びを楽しめたんだと思います。えーと、だからつまり、曲の流れの中に、ノイズの破壊的な音が加わるのは、「良い」と感じました。
そういえば、カウントダウンのiLLは凄かったなぁ。ああいうことを真面目にやっている人と知り合いになりたいです。
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僕には何らの枠が無い。ニーチェは、本を読むことを「誰かが自分の傍で喋ったり考えたりすること」と言ったが…僕にはあらゆる種類の枠が、そのように感じられる。でも僕はまだまだ本を読む必要があるし、あらゆる種類の枠にはまろうとしなくてはならない…これまでの経験(随分少ないことは承知ですが)から言うと、僕は何らかの枠にはまることができない。しっくりこないとか言うことではなく、単に不可能なだけだ。
しかし、こうなると、道(真理)を知ることができないのではないかと不安になることがある。
狙いを定めるためには、ブレがないようにしなくてはならない。枠は、「こうすればブレはなくなるよ」と言うのを教えるものだ。
僕が夢見る「総てのものに共通のある点」はそれを解決してくれるのだろう。もしもそれが存在するならば、枠は必ずしも必要ではないからだ。要は「これだ!」とわかりさえすればいいのだから。
仏教やキリスト教、ジャズやクラシック、ギターやドラム…これらの全てがある単一の真理を持っている、と考えている。
うーん、これは熟考に値する重要な問題だなぁ。