なんとか…自分を取り戻したみたいです。僕の中にも憎しみやら恨みなんて感情がまだあるんだなぁ。

でも僕は本当に、こんなに下らないことには構っていられない。例えば、地球があと何年で滅ぶかを計算して、その数字に愕然とするなんてことは、僕が体験すべき事ではない。それと同じだ。
僕は混乱の最中で、母の人格形成について「なるほど、これがこのように繋がって…」と考えたりしたが、混乱の解けた今となっては、そんなことは全くの無駄だったとわかる。“何にもない”と言っても、ある意味、過言ではないかも知れない。

たぶん世の中には、億の為すべき事があるだろう。でも僕はその内の一つを為して、「億を知った」と言うのだ。実際にはそこまで到達していはしない。僕はそうすべきだし、そうしようとしている、ということ。

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いま、鈴木大拙氏の書いた禅学入門という本を読んでいます。わかったとは言われないけども、受け入れ易く、親近感のようなものを感じます。僕が最近感じたことをまとめて示してくれた…とまではいかないにしても、近いことは確かです。
と言っても、僕は何にもわかってはいないから、まだまだ学ぶ必要があります。

しかし…こうやって人生全体に関するものに触れた時に、学校で学んだものって何だったんだろうなと、ツクヅク思います。そして、今現在、書生を語っていることに違和感を感じます。まぁ違和感と言えば、前々から只ならぬ程に感じてはいるのですが…僕は自分にとって適切な居場所が見つかりません。
専門学校に行くのには、まだ早すぎる(音楽が全てではないから)と思うし、かと言って、自分と向かい合う時間が無くなるのは、どうしても避けなくてはなりません。
どこに身をおくべきか…途方に暮れるばかりです。

この人生は他でもない僕のものであって、僕は何より先に、その「僕」を知らなくちゃならない。

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絵本の文章って何であんなに深いんだろうと不思議に思います。宮沢賢治の書く文章も、僕にとっては難しい。ああいう文章は、本当に知っている人が書かないと、滑稽な文章になってしまいますね。相手に伝わらず、また、自分にもわからず。
絵もまた同じです。立派な額に納められて美術館に飾られている絵が、果たしてそれだけに値するものなのかどうかわかりません。例えばだけど、とてもとても素晴らしい画家が描いた花よりも、本物の花の方が美しいと思ってしまいます。
んーこれを詰めて行くと禅と関連が出てきそうだな。でも今は疲れてちょっと頭が追いつかない。