メモめもメモめもメモ。

・彼女たちは、依存傾向があり、かつ、その度合いが強い。この特徴は合理的で、運命的なものなのだと思う(僕はこういう解釈の仕方が嫌いだ)

・「僕にとって、当たり前すぎるほど当たり前の事」とは、どんな事であるのかを明らかにしなくてはならない。

・問題は邪悪な人間が無自覚なところにある。

・学校に行く必要なんて無い。だからと言って無理に働く必要もない。その間にいる人にとっては。
現在の社会に彼らの居場所は無い。これは彼らが悪いのか、それとも社会が悪いのか?
未完成にも程がある人間が“大人”とかなんとか言われたりしているのを見て、僕はどうしたらいいんだろうと思ってしまう。

・僕が怖いのは、何も感じたり理解したりできなくなることだ。

・溢れてしまってどうしようもない悲しみを独りで耐えるのは、つらい。誰だって溢れてしまうことはある。

・(自分に言い聞かせている)
徹底的な自己対峙が必要だ。少しも目を背けてはいけない。それにはどうしたらいいのだろうか?
社会と関わっている人間は、常に自分の事だけを考えながら生きてはいない。他人についても考えなくてはならないのが、前提だからだ。
かつての賢者は群集を離れ、自ら孤独へと歩んで行った。何故か。その場所が適していなかったからだ。悟りを開くためには、徹底的な自己対峙が必要なのだ。
しかし、これは万人に対する答えではない事を覚えておかなくてはならない。そして、世の中はある程度制限されている、つまり、ある物事を「気づく人」、「暗示されなければ気づかない人」、「永遠に気づかない人」がいる、という事を知っておかなくてはならない。“気づく”という表現を使ったのは、それ(ある物事)は実は目の前にあるからだ。
注意しておかなければならないのは、「Aには気づくが、Bには気づかない人」と「Aには気づかないが、Bには気づく人」がいるということだ。両者が段階的に言って“悟り”に達していることもあるかも知れない。でも今の僕には、わからない。

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追記:・言葉は、ある物に対する認識を他人と合わせるための記号に過ぎない。だから、言葉で表せなかったり、表す必要がない場合もある。

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ああ、本当にこの家は!ただ座っているだけでストレスがたまる!住んでいる人間の人種が違いすぎて、例え理解はできても(ここの場合、そんなことは有り得ないんだけど)、受け入れられない!
なぜこの僕が!(この言葉の意味を理解してくれる友人はそんなに多くはないけども、この事実を耳にしたら、彼らは皆驚くはずだ)

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追記:今の自分の気持ちを確かめてみると、“とてもとても”会って話しがしたい人が、何人かいる。でも何となくだけど、それは雨が雪にかわるような偶然でないといけないような気がしている。ちなみに僕は雪が好きだ。
そして!今日、せっかくのそのチャンスを逃してしまった…もう今日は本当にダメだ。