今日は失敗ばかりだったなぁ。でもその全部について、嘘を言うことや自分をかばうような解釈はしない。そういった行為は、何の慰めにもならないことを、僕は知っているからだ。
しかし…ややもすれば、卑怯な手を打とうと考えてしまう自分が情けないし、残念だ。事実、上のような行為を取れば良いという考えが、頭をよぎった。

世の中が嘘で溢れているのはわかっている。テレビや新聞が伝えなくとも、実際に他人と付き合う中で発見するからだ。
普通、嘘をつくことから来る罪の意識は、回数を重ねるごとに(感覚が麻痺して)軽くなって行くようだ。
しかし、僕にはそれができない。あまりに強烈な痛みなのだ。この痛みは何を伝えているのか?答えはとても簡単だ。自分の体を守るためにも、僕は嘘をつかない。
人間の中の真理(生物全体やよくわからない“世界”なんて物に対するそれではなく、人間の仕組みにとって最もよいモノ・行動・思想、と言えばよいのだろうか。真理なんて概念は人間しか考えないだろうし)とは、感覚が教えてくれるのではないか?

僕は人間だ。感覚は“ある”。それを言葉で表せるときもあれば、表せないときもある。いや、問題はそこではないな。
僕は、感覚を否定しない!そこから真理が得られるのだろうし…もし、怪しい時は考え直せばいい。しかし、禅に肩入れしている僕は、最終的には論理的思考から答えが得られるとは思っていない。

人間は自然の一部であるし、自然によって生かされている。これはどうしようもない事実だ(ここで空想を語るのは、意味がない)
人間である僕には、プライドのようなものや何かしらに対する優越感がある。しかし、そんなものは自然を相手にした時には、何にもならない。
うまい洒落を聞かせたって、着飾ってみたって、反応するのは人間だけだ。自然は良いも悪いの判断も無く、ただそこにあるだけだ。

話が流れすぎていて、何について書いているのかわからないな。でもそんなことはどうでもいい。書きたいことを書き残しておくことが重要なのだ。