私は依然として自分を持て余し、精神的・金銭的に不安定でいる。何より先に失った色を取り戻さなくてはならない。混沌とした無数の思想やアイディアを有効に具現化したい。

数ヶ月をかけ失敗ばかりした。そこから学んだ事は、話の具体化と営業力の重要さだ。これらは私には確かに足りていない物だった。
個人の内面的な話は、本人以外には理解不能な領域が含まれている。聴く側も語る側も互いにそのミステリーを楽しんでいる。私は日本語の持つ美しいグラデーションが好きだった。
しかし、ビジネスにおいて必要なのは何よりも明確化だ。曖昧さは無駄と危険を生む。「いつ、どこで、何を、どうする」とか「報告、連絡、相談」と言った事はビジネスにおける大前提だ。“どこからか流れて来たもの”を“見る”ではなく、“これと狙いを定めたもの”を“手で掴む”事が必要なのだ。
散々自惚れておきながら、恥ずかしい事に今になってやっとわかった。自分の事はやっぱり見えないものだ。
この話し方・考え方(曖昧なもの→具体化)の発見によって、自分自身の整理も少しだけできるようになってきた。雲の中に消えて解決できなかった悩みが、陽に照らされてよく見えるのだ。

                                                                                                                                                          • -

中学生〜大学生の頃は夜が好きだった。だから活動する時間は暗くなってからだった。暗闇に隠された曖昧な夢を見て酔っていた。今では懐かしさを感じる、その時期特有の景色を多く見た。簡単に言えば、岩井俊二村上春樹みたいなものだ。
ある時、キリスト教に触れた時だったろうか、ほとんど色だと認識できないほど強烈な白を感じた。そして夢から覚めたように思われた。周囲に何かを感じながらも気持ちは晴れやかだった。
しかし、つまずいて前のめりに倒れた。頬に濃く湿った土を感じながら見上げると一面に霧が渦巻いていた。狐につままれた心地だった。
それから何ヶ月経ったろうか、倒れたまま這って進みようやく晴れてきた。太陽の光はあの時と違い優しい(復讐すべき何者もないからだろう)。思わず立ち上がり全身に陽を感じ、土と汗や涙の混じった匂いをかぎ、悟った。そして陽を浴びて生きようと決めた。
私は自分が新しくなったように感じる。天まで昇り、地を這い、初めて自分を見た気がする。

この物語は、私が愛した一人のために始まり、人を愛した事から動き出した。私は自分の人生の一端を手にできた。